■ 【人生とお金】 私達はいつも時間とお金に脅かされている?
皆さん、こんにちは。 さて、今回の「人生とお金」では、私達の人生で切っても 切れない「時間とお金」について考えてみたいと思います。 これまでも関連するトピックで、考察を深めてきましたが、 今回は、一般的な衣食住に足りた生活を営んでいて、 かつ「時間とお金に脅かされているかも」と感じている方を 想定しながらお話してゆきたいと思います。 さて、では早速、皆さんに質問です。 あなたの現状がどうであれ、 「お金持ちである貴方は精神的に参ったり、不幸せに感じたり、忙しく感じたりするでしょうか?」 もちろん、様々な価値観の人がいますから答えは一つではないですし、それは絶対的な正解でもありません。 しかし、皆さんはこの質問に、どのような答えや考えを持ちますか? お金と幸せの相関について研究しているとある学者さんは、その研究論文の中で、下記の説明をしています。 「私たちは皆、時間とお金の狭間で暮らしています。お金のある人は、そのお金を使う暇がありません。 結果として、お金持ちの人はお金よりも時間より大きな価値を見出し、時間はいくらあっても足りないと 感じるのです」 これは必ずしも、お金持ちの方がストレスを感じているということではありません。貧乏な人は、時間よりも お金がないことを嘆くのです。 時間とお金、いつもどちらかが私たちを脅かしているのです。 お金持ちは時間が足りないと思い、貧乏な人はお金が足りないと思うのです。 なんであれ、足りないと嘆き、手に入らないと嘆く。無いものねだりとは良く言ったものです。 では、私達は、時間とお金の狭間でさいなまされながら生きてゆかなくてはならないのでしょうか? ここで次の質問です。 例えば、既にあなたの周りにあることに目を向け、もしなかったとしたら、幸せじゃなくなるものを探してください。 何か思い浮かぶことはありませんか? 例えば、炎天下の中で朦朧と3時間歩きつづけた後、飲んだ150円で販売しているペットボトルで飲んだ水。 普段の生活では、珍しくもない水ですが、この状況下では、喜び、幸せを感じさせるものではないですか? また、いつも身につけている、銀行のカードや免許証やらが詰った財布。これをどこでどの場所でか 覚えていないのですが、運良く発見した場合。 金銭的なこともそうですが、発見したことによる、紛失連絡や復旧作業などの手間から開放され、 喜び、嬉しさがこみ上げてきませんか? これらは、既にあるものが「なくなり」、そして「ある」状態になるプロセスを辿る、 「ある」ことの有難さを示す短期的である種極端な例です。 ですが、この例はいくつかの可能性を示しています。 ひとつは、「幸せを感じる力」というのは、必ずしも金額の多寡に影響しないと考えられます。 幾らお金をかけたから幸せだ、不幸せだ、ということでなく、150円で感じられる幸せは、 人によってはプライスレスでしょう。 また、以前、「お金が生活の満足感に影響を与えなくなる分岐点」についてのコラムを掲載しましたが、 それによると、年収630万円前後が幸せの分岐点とのことです。 では年収400万円の人は、幸せを感じられないのでしょうか? 年収500万円の人は、幸せを感じている人の8割分くらいの幸せ度合いなのでしょうか? そんなことはないでしょう。 また、もうひとつの可能性として、それは、人間は忘却することで生きてゆけるとも言われますが、 忘却しないほうが良いこともたくさんあります。 それらを忘れずに生きてゆくことが、まさしく幸せな生活を送る秘訣のひとつではないでしょうか。 つまり、最終的に「幸せ」を感じるためには、自身の「幸せを感じる力」、またその力を取り戻すための、 ある種、自助努力的な工夫が必要なのだと考えられます。 例えば、宝くじ当選者の7割が自己破産をするという一般データから推察すると、 急激な入金に翻弄されることなく、お金と幸せの在り方を捉える、この「幸せを感じ取る力」の存在が ますます必要不可欠と考えられます。 むしろ、この力がなければ、一生密接に付き合ってゆくものである「時間」と「お金」に振り回されずに、 幸せを追求してゆくことが難しいとも考えられます。 「幸せを感じる力」。 この力がなければ、幸せになることは難しく、この力があれば、幸せは既に貴方の周りに存在する。 幸せとは、その切っ掛けを宝くじのように誰かに与えられることがあっても、幸せに繋がらないことが あることから、自分でコントロールして感じ取るもの、とも言えそうです。 このことから、あなた自身が望む幸せの在り方の探求に加え、この「幸せを感じる」ための観点を ご自身で持つことは、際限のない人間の欲望をマネジメントする上でも、重要なのではないでしょうか。 そして、このマネジメントの方法のひとつとして、古人は昔から諺や名言の類で、少し紐解いただけでも お分かりのように、再三再四伝え残してきています。 しかしながら、人間が忘却する生物のため、このことを常々見失ってしまうのです。 だからこそ、このことを思い出す各人なりの切っ掛けを自身で持つことが重要なのではないでしょうか。 ◇ 関連コラム ◇ ◆「幸せとお金」 ◆「英国流幸せ哲学」 ◆「億万長者の小話」
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