■ 【しあわせの手紙】 「暖かいスープ」
フランスに、一人の日本の留学生がいた。 彼が渡仏したのは、第二次世界大戦が終結して間もなく、 日本がオリンピックに参加することもままならなかった頃のこと。 彼が最初に訪れた下宿先では、彼が日本人と分かるや否や断られた。 「夫の弟がベトナムで日本人に虐殺された。あなたには何の恨みもないが この家に日本人をいれたくないのです」 その後住居は定まったが、貧しい学生生活を送ることになった。 彼は大学から少し離れたレストランで毎週土曜は夕食をとった。 そこは若い娘と母親が営む小さな店で、パリの雰囲気を漂わせていた。 彼は「今日は食欲がないから」などと言いながら、いつも一番安いオムレツを注文した。 ある夜のこと。 通い慣れたそのレストランで、娘さんが黙ってパンを二つ出した。 パンは安いので、会計の時にそのまま支払うことにした。 食事がすみ、レジの前で二つ分のパンの料金を払おうとすると、 他の客に分からないように人差し指を口にあて、目で笑いながら静かに首を振り、 一人分の料金しか受け取らなかった。 彼は、かすれた声で「ありがとう」と言った。 それ以降、いつも半額の二人前のパンが出た。何ヶ月か経った冬の寒いある晩。彼は無理に明るく笑いながら、オムレツだけ注文した。 店には他に二組客がいたが、どちらも暖かそうな肉料理を食べていた。 その時、店のお母さんの方が湯気の立つスープを持って近寄ってきて、 震える声でそれを差し出し、小声でこう言った。 「お客様の注文を取り間違えて、余ってしまいました。 よろしかったら召し上がってください」 小さい店だから、注文を取り間違えたのではないことくらい、よく分かる。 目の前に置かれたどっしりとしたオニオンスープは、ひもじい彼にとって どんなにありがたかったことか。 涙がスープに落ちるのを気づかれぬよう、彼は一さじ一さじ噛むようにして味わった。 仏でも辛い目に遭ったことはあるが、この人たちのさりげない親切ゆえに、 私が仏を嫌いになることはないだろう。いや、そればかりではない。 人類に絶望することはないと思う。
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