■ 【偉人の名言集】 定年目前の52歳からビジネスに奮闘した野心家 「レイ・クロック」

         我々が進歩するためには
        個人でもチームでも
   パイオニア精神で前進するしかない。
      企業システムの中にある
     リスクを取らなければならない。
   これが経済的自由への唯一の道だ。
         他に道はない。         

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 【レイ・クロック)】:米国/1902年-1984年

 マクドナルドコーポレーションの創業者。
 マクドナルドをフランチャイズ展開して、世界最大のファーストフードチェーンに仕立て上げた。

 15歳のとき高校を中退し、年齢を偽って第一次世界大戦に赤十字の救急車の運転手になろうと試みる。
 戦争に便乗してヨーロッパに行きたかったが、 コネティカット州に折る頃に戦争が終戦を迎える。

 戦争後、食いつなぐためにピアノ弾きのアルバイトを経験した。

 1922年にリリチューリップカップ社の紙コップ販売の仕事に就き、販売の腕を磨いた。 
 この紙コップの販売をしてるとき、顧客先のプリンス・マルチミキサーズ社のオーナーに新発明の
 ミキサーを見せられ、このミキサーの販売権を買うことにする。 レイ・クロックはこのミキサー販売を
 52歳まで続けた。

 1954年、レイ・クロックは老後のたくわえもある程度貯まり、そろそろ引退を考えていたときの
 ある日、マクドナルド兄弟が営むハンバーガーレストランから大量のミキサーの注文が入る。
 レイ・クロックはこのレストランの商売方法は飲食業界に大きな影響を与えると確信、
 現代でいう「フランチャイズ権」を契約した。

 レイ・クロックは品質、サービス、清潔さ、価格をさらに向上させるよう努力し、1955年イノイリ州で
 初出店。続いてフランチャイズの契約者をオーナーにいくつかの店舗を開店させた。 1960年まで
 このビジネスはなかなか軌道に乗れず、一時は倒産ギリギリにまでなった。

 レイ・クロックはこの状況を改善するためレストランの建設用地を買い、
 フランチャイジー(他のフランチャイズの契約者)に土地を賃貸するという方法を考え出す。
 この対策により、徐々に利益を伸ばすことに成功。
 
 後にレイ・クロックは、テキサス大学の講演で、
 「私のビジネスはハンバーガーを売ることじゃない、不動産業だよ」とさえ言っている。

 1961年、マクドナルド兄弟から270万ドルで会社を買いとることにする。 

 すぐにレイ・クロックは大規模な広告キャンペーンを実施し、店舗は瞬く間にアメリカ全土、
 ヨーロッパ、アジア、世界へと進出していった。

 1984年他界するが、それまでほとんど贅沢をすることも無くマクドナルドを支え続けた。

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